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粉ミルク療法事件もくじ

治療はほんものです、この灯を消してはならない

7,000名が信頼を寄せて治療。
府警の押収から戻ったカルテ

大阪府警経済課は加藤治療院に対して内偵を始めていた。
しかしその動きは、すでに手の施しようがなかった末期の患者だった数人の家族からの標榜や、
その件に対する聞き込みから動いたものと思われた。
1988年1月13日、大阪府警生活経済課は、他の課からの応援を求め、総勢60人、
10人づつに分かれて全6か所の医療所に踏み込んだ。
 

午前9時、加藤 清は大阪森の宮の健康再生館に第一研修センターでがん患者の治療にあたっていた。
「大阪府警のものですが、責任者のかたはおられますか。」
警察手帳を見せながら、チーフの警察官は丁重に言った。
「私が再生館院長の加藤です。」
「家宅捜査をさせてください。」
彼は捜索差押さえ令状を提示した。
「立会いをお願いします。つきましては、外部からの電話にお出にならないこと。証拠品を移動させないこと。よろしいですね。」
係官は注意事項を伝え、終ると背後の警官に合図した。

 


10名の捜索員は健康再生館に上がり込んだ。他の5か所の治療院も同じであった。

戸棚を開け、刑事が患者のカルテを無造作に引っ張り出す。
ダンボールに詰まれたカルテは外へと運ばれた。加藤は乱雑にカルテをダンボール箱に放り込む刑事の前に両手を開いて立ちふさがった。
「勝手に大事なものを、なんてことをする。」

加藤は刑事に抗議した。
「邪魔をしないで、下がっていなさい。」
加藤はさらに繰り返した。
「これは、たいせつな患者さんの記録だ。なんだ乱暴に、そんな扱いをするとは。警察だってそんなことは許さん。」
加藤は刑事の手からダンボール箱に入ったカルテを取り返そうとした。
「加藤さん。公務執行妨害によりあなたを検挙します。」
加藤は車に無理やり乗せられ、大阪府警本部まで連行された。

治療院各所からは、総数7,000枚のカルテと関係書類がダンボールに詰められ、持ち去られた。
加藤はその日は午後に解放された。
しかし翌日から加藤も含め、スタッフや関係者が呼び出されて事情聴取を受けた。
忰山は3日目に任意出頭で呼び出された。
新聞・ラジオの記者の取材を求められたが、あまりに多くて応じられないため
記者会見が開かれることになった。
加藤はその席で、粉ミルクによる半断食療法がガン治療に有効なこと、その医学的理論を説明。
さらには粉ミルク療法の実演をしながら、記者の質問に答えた。

最初に乱暴な若い記者の声が飛んだ。
「加藤さん、あなたは粉ミルクを飲んでガンが治ると言って治療をしているそうだが、そんな馬鹿なことがあるものか。」
「粉ミルクがガンを治すのではない。断食をすることによって血液が浄化され、さらにガン細胞が死滅させられてガンが治るのです。粉ミルクは体力が落ちた患者さんの最後の食べ物となっているのです。」
「いや、聞くところによると体力が落ちた患者に食事を与えず、何人も死なせているそうじゃないか。」
「断食は死なせるためではない。生命力を取り戻すためにある。その証拠に、あなたたちの周囲には心配して駆けつけて来てくださった、もと重症の患者さんもたくさんおられる。その方々に治療について聞いてみられるといい。」
スタッフの連絡で、もと患者や家族が会館にはぞくぞくと駆けつけて来ていた。
元患者たちは涙ながらに、治療法の有効なことを記者に証言した。
「しかし、何人もが死亡しているのは事実でしょう。」
「それは、ガンにかかってすぐに私のところに来てくだされば、ほぼ助かる。しかしこの会館にみなさんころがり込んで来たときには、大手術を受け、抗がん剤を打ち、ボロボロになった末期症状のひとがほとんどだ。すでに手遅れのかたもおられるのは、残念ながらどうしようもないことだ。しかしみなさんの周囲にいる患者さんには、その末期ガンだったひとがたくさんいます。」
さらに加藤は断食によって、細胞が赤血球に逆戻りする事実を説明した。

「そんな話は、聞いたこともない。誰が言ったのですか。」
「岐阜県の千島 喜久男医学博士です。すでに亡くなられたが、博士は私の治療を見られて、治療は理論的に正しいと言われた。」
「そんなりっぱな話なら、なぜ多くのひとに広がらないのですか。」
「それは、医学界・医師会などの都合によってでしょう。博士の研究は事実です。」
加藤は、千島学説をこの機会に世に知らしめ、追試が行われることにより、
その正しさが認められることを期待した。
 

現在は名前を伏せさせていただきました

この事件は全国的に報じられた。
旭川の作家 三浦 綾子は加藤 清救済に立ち上がった。
自ら粉ミルク療法がほんもので有効であることを訴えた。
三浦は大阪府警に電話をかけ、手紙も書いた。
さらに元患者とともに、加藤 清に対する救済の嘆願書を集めることに乗り出した。
「治療はほんものです。この灯りをけっして消してはなりません。」
と三浦は呼びかけた。
全国から元患者、またはその家族による加藤 清救済の嘆願書が
つぎつぎと送られてきた。
その数は803通に及び、その中には三浦 綾子自身のものもあった。


補足: 後に私がお会いしたこのときに関連した医師は、
「私もほとんど三浦綾子さんに助けられたのです。」
と語りました。

釈放された後、新聞を読んで加藤は驚いた。
第一面の大見出しで加藤が極悪非道な人間として報じられていたからである。
新聞記者はどこを見ているのかと思った。
だが、三浦綾子はじめ、多くの支持者が、加藤の逮捕を不当だとして
抗議の手紙や電話を府警に対して行なったことを知った。

府警の事情聴取は釈放後も続き、三月末に終わって検察に加藤は書類送検された。
加藤清に対する検察の判断がかたまったのは九月に入ってからだった。
略式起訴で罰金刑に処するというものである。
加藤は弁護士の意見を聞き入れ、罰金十万円を支払うことにした。

罰金を支払うことはない、裁判で争うようにという識者の意見もあったが、
当時、弁護士の費用どころか、罰金十万円も右から左へとは出せない状態に
なっていたからである。
加藤は罰金を支払い、触診、視診、問診をしたという理由で医師法に抵触し、
無届で診療所を開設したと見なされ、医師法達反、医療法達反が確定した。
 

加藤はこの事件を通して、粉ミルク療法がガン患者だけにかぎらず、
そのほか慢性病や健康維持に有効かどうか、また療法の背景になっていた
千島学説がはたして事実かどうか、それが論議されることを期待した。
だが、新聞・テレビ・雑誌の論語は、
『現代医学に不信があるから、大衆が民問療法に走るのであって、
加藤の療法もそのなかの一つである。』
という面ばかり強調された。
 

それから店頭から急に粉ミルク療法の書物は消え失せた。
加藤 清は治療所をすべて閉鎖し、その後窮乏と失意のうちにこの世を去った。
そして1999年10月。三浦綾子逝去。
 

補注:
この内容は事件当事者が残した記述を、許可を受けて使わせていただいたものです。さらに家宅捜査での状況は懇意にしている元警察署長から、一般的な手順を教えていただき会話化しました。粉ミルクは加藤 清氏が着想した食材ですが、知人医師のミルクに対する意見やアメリカの研究者が行った調査チャイニーズ・スタデイの結果では、ミルクは適切でないことがあります。断食状態を起こせばよいのであり、食材は別なものを使用します。 

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文部省下でコンピューター黎明期に図書館電算システム化の開発にあたりました。その後大手金融機関に定年までに勤めました。
退職後、幼児教育・効率的勉強法の工夫・研究をしたりしていましたが、確認されている事実に基づかない医学理論や健康法が多いため、25年にわたり調べてきた医学関連について本格的に発信をしています。
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